これから死ぬ店・残る店
どうもこんにちは。リョウマツモトです。
先日ファッション小売の病という記事を書きましたが、
ただただ批判して終わっていたらただの批評家で終わってしまうと思うので、今回は僕なりの意見・治療法を書いていこうかと思います。(セレクトショップ視点で書きます。)
これが結構シンプルだと思っていて、結論から申し上げますと、
「モノ」に上乗せして「コト」を売る。これです。
もうねモノだけ売ってたら死にます。確実に。なぜか?
モノだけだったらネットでいくらでも買えるからです。本だけを売っていた本屋さんがアマゾンの登場で死んでしまったのと同じことです。
さらに服となったら、ライバルはネットだけではありません。
もう物質的な「服」ならユニクロに行けばいくらでも、しかもそれなりのものが安く買えてしまうわけです。僕らみたいなセレクトショップは相当ピンチですよ。四面楚歌状態。そりゃ服も売れなくなるわけです。
コトってなんだ?
具体的にコトとは何かを説明するのに実例を踏まえるとわかりやすいので一つ挙げます。先ほど本屋さんについて触れたので、本屋さんの例を挙げますと、本屋が軒並み死んでいく中で時代の潮流を掴んで売上を伸ばしたのが蔦屋書店(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)です。
結論から言うと蔦屋書店は本という”モノ”ではなく、ライフスタイルという”コト”を売ったんですね。あの有名な代官山の蔦屋書店ですよ。行ったことある方も多いのでは?
もちろんそこで売っている本やCD,DVDが起点にはなるのですが、それ以上にその場所で過ごす「時間」に価値を感じるような空間を作っているわけです。スタバも併設されていますしね。そうするとどうでしょう。本来、本を買いに行くための本屋が時間を過ごす「場」になるわけですね。そこでコーヒーでも飲みながら、本を読みながら、ゆったりとした時間を過ごし、気に入った本があれば買う。そのような消費スタイルの変化があります。もうそこで時間を過ごすこと自体をライフスタイルの一部としてしまう。「こんな素敵な空間でゆったりとした時間を過ごす。なんて贅沢な暮らしなんだ!」と、大げさに言えばそういうことです。
また、売り場の作り方も一般的な本屋とは異なっており、例えば料理本の隣には実際の調理道具や食器が置いてあったりするんですね。そうすると人々の頭の中には、それらが作り出すライフスタイルが具体的にイメージされます。だから人々は単純にモノを買うのではなく、それらがきっかけとなって作り出されるライフスタイルに対してお金を払うわけですね。「代官山の蔦屋書店で買った料理本に書いてあったレシピを、その料理本の隣にあった道具で作り、その道具の隣にあったお皿に乗せて食べる自分」。そのイメージにお金を払うという感覚です。
おわかりいただけましたかね?少し抽象的ですね。
服屋のコト
それでは服屋に置き換えるとどういうことか?先述のライフスタイル提案型の服屋もその一つですね。服を中心に生活雑貨なども置いて、それらが作り出すライフスタイルを売っていくというやり方です。ロンハーマンとかはこれに近いかもしれないですね。
、、、だがしかし!僕が売りたいコトはライフスタイルではありません。
別にライフスタイルを売るのが良い・悪いとかそういう話ではなく、僕は性格的にライフスタイル系ではないなと思っているだけです。
じゃあどんなコトを売りたいか?いろんなコトがあっていいと思いますが、、、
僕の場合は一言で言ってしまえば「体験」ですね。どんな体験か?
今までの価値観を覆されるような体験
新たな発見にドキドキワクワクする体験
かっこいい服を着て街中を闊歩する体験
日常の中で最大限、非日常を味わう体験、、、etc
こんなイメージです。箇条書きで申し訳ございませんが!
これには僕の考え方・価値観が色濃く反映されています。僕は服には物質としての価値以上のものがあると思っています。つまり身体を守るため、身体を隠すため、体温調節するため以上の価値があると考えています。
それは例えば、お気に入りの服・かっこいい服を着ることによってその1日が特別なものになったり、気分を上げて過ごすことができたり、自分に自信が持てたり。
僕はこの点を非常に重要視しており、これこそが僕が服を好きな理由でもあるのです。
だから自分のお店はこの価値・コトを最大限提供できる場にしたいと思っています。
だから自分が本当に良いと思えるもの、かっこいいと断言できるもの以外は扱いたくないんですよ。極端ですけど。
自分を魅了したものは、他の誰かも必ず魅了し得る。
もうお客様の顔色を伺ったような、10人中8〜9人に好かれようと思ってお店を作っても可もなく不可もなくといった結果になってしまうなと思うんですよね。そんなインスタの#ootdでながれてくるような物があるお店になんの新鮮味や体験も覚えないとおもうんですよ。それにそういったのは大手に任せておけばいい話です。僕らみたいな個店がそこで勝負しても勝てないのは自明なわけです。
だから僕は10人中1人でも圧倒的に好きになってもらえるようなお店を作りたい。90%の人に無視されても、ファンになってくれた10%のお客様に100%満足してもらえるような店にしたい。こう思いますね。服好きと服好きがお互いの愛・オタクっぷりをぶつけ合うような、そんなお店がいいですね〜。
でもそんなんで商売になんのか?10%の人だけで食えんのか?と思った方。鋭い!いくらかっこよくても儲からなきゃ意味がないですね。
ただ結論から言うと僕は「実現可能」だと思っております。
理由はシンプルで、「分母を増やせばいい」ただこれだけです。
つまり、10人にしかアプローチできなければ10%は1人ですが、1万人にアプローチできればその10%は1000人になるという計算です。
1000人のファンがいれば十分商売繁盛です。一人が年間10万円使ってくれれば、それだけで年商1億です。まあ服好きが年間10万で収まるわけないですけどね。笑
そしてインターネットの登場で、1万人にアプローチできる手段も十分に揃っているわけです。十分可能です。いい時代だ!
逆に今の時代に8割〜9割に好かれようとしたら、そっちの方が危ないんじゃないかなあと思います。なぜなら人々の趣味趣向が超・多様化しているからですね。これも情報化社会の産物です。もう多くの人に好かれようとしても結局可もなく不可もなくといった結果になるのは必然です。誰の心も動かせない、誰も満足させられない、既視感満載の「まあ悪くないよね」という店は死ぬと思います。
そういう意味では原義的な意味での「セレクトショップ」を愚直に運営しているお店が残ると思います。セレクトショップって本来は店長なりオーナーなりが「好きなもの」を「セレクト」しているショップのことを指すと思うんです。それがいつからか「好き」よりも「売れるか?」がセレクトの基準になってしまって、気づいたら店内に自分の「好き」という思いが乗っかったものはほとんどない、みたいな状況になってしまったわけです。セレクトしているのではなく、「セレクトさせられてる」みたいな。
近年「キュレーションメディア」が頭角を現し始めましたよね。ニュースサイトで言えば有名なのがグノシーとかスマートニュースとか。あれって結局人々が「情報多すぎて取捨選択めんどくさい!」と思い始めたから、需要が生まれたわけですよね。セレクトショップも本質的にはこれと同じだと思っております。
モノと情報が溢れた世の中だからこそ、良いものを見極めて人々の代わりにピックアップしてあげる。そしてそのピッカーの価値観に共感した人・信頼を寄せる人がお店に集まる。シンプルにこれです。これを愚直にやっていく。目利きとしてのセレクトショップですね。
だから当然接客の仕方も変わります。「売ろう」ではなく「紹介しよう」という価値観の下接客しないともう売れないと思います。
まあ長くなりましたが僕の考え方・価値観・解決策は以上になります。
シンプルに言えば「自分の好きなものを思いっきりやれよ!全ては後からついてくるはずだろ!」というわけです。
あとはベラベラ喋ってないで結果として証明しろよってことですよね。
はい!証明します。
ではまた。